旧ねづくりやの営み

ねづくりやの始まり

店舗ねづくりやは、『旧ねづくりや』の跡地に建設されました。この『旧ねづくりや』の存在、知らない方も多いと思いますが、ねづくりやを語る上では必要不可欠な存在なのです!

舞台は根津にあるなんの変哲もない古民家。2016年から約2年間ほど民泊が運営されていましたが、法改正のため営業が終了となり、その後の活用の当てがありませんでした。2018年の2月、そこに住み始めたのが4人の若者(上写真)でした。そのうち、鶴元怜一郎(一番左)と金光良太(一番右)が、現在もねづくりや事業のメンバーです。馴染みのない土地で、学生であった4人がどのように暮らしていくのか。彼らが掲げたコンセプトは『根津に根付いてつくる家』でした。


旧ねづくりやが始まる前の古民家



根津に根付いてつくる家

近隣の方へのご挨拶やイベントへの参加を皮切りに、引っ越し以前から少しずつ街に馴染み始めた4人。住み始めた頃には、家は近隣の子どもたちで賑わっていました。「共創型シェアハウス」として、根津の街の皆さんに支えてもらいながら家をつくっていったねづくりや。温度感のあるコミュニケーションを通して、ちょっと物珍しくはありながらも、街に受け入れられていきました。

近所の運動会に招かれたり、根津のお祭りを楽しんだり、、。朝になったら子どもたちが起こしに来るなんてことも日常茶飯事でした。そこに住み、日常を共有する開かれた場であったからこそ、街の人との繋がりや信頼を得ていくことができたのだと思います。


暮らしの延長でなにができるのか

その後ねづくりやは、様々な商いやイベントにチャレンジしていくのですが、それには街の方々との支え合いが必要不可欠でした。よそ者が突然やってきて、何か商売事を始めるというのは、周りに住んでいる人にとっては不安なものです。その土地に根ざし、顔のわかる関係であること、人が分かる関係であるということがとても重要でした。

ジェラート屋を始めたり、個展やお茶会を開いたり。ドラマの撮影地になったり、裏の畑で野菜を育てたり、、、。みんなでご飯を食べて、みんなで遊んで、4人だけではできない、いろんなことを形にしていくことができました。そこで暮らして、周りの方々と、小さなことから顔を合わせてコミュニケーションをとることで、たくさんのやりたい!が実現していく場所となっていったのでした。


さよならねづくりや

様々な形で根津の街に賑わいを生んだねづくりや。しかしその営みは、約2年で終わりを迎えます。建物の老朽化によって、ねづくりやの取り壊しが2021年の1月に決まったのでした。解体は前々から決まっていたことでしたが、メンバーを含めたくさんの方々がねづくりやの終了を惜しみました。解体の日を前に、ねづくりやは最後のイベントとなる『えんとふち』を開催。家全体を使った作品展示や、メンバーによるモツ煮の振る舞いなど、約2年間の歩みを振り返る映像や写真の数々とともに、皆さんに感謝とお別れを伝えました。

イベントには、今まで関わってくださったたくさんの方がお越しくださいました。寂しいけれどこれが最後。一瞬一瞬を噛み締めました。


学生が制作した「ねづくりやドキュメンタリー」の上映も行いました。


旧ねづくりやでの暮らしを終えて

「終わってほしくない」「壊さなくてもいいのに」そういった声を、本当にたくさんいただきました。最後のイベントを通して、改めてたくさんの方々に愛された場所だったんだなと実感しました。建物や暮らしには、必ず終わりの時がきます。古き良き何かを、そのままずっと維持し続けることは非常に難しいことです。今あるものはもちろん大切にしながら、生まれては無くなっていく、人や街の変化に気づき、その記憶を新しい何かへと継承していくことも、これからは重要であると強く思いました。そういった長きにわたる想いの積み重ねの中に、どこか懐かしい本当の豊かさが隠れているのかもしれません。ねづくりやでの暮らしは、そういったことをめいいっぱいに感じた2年間でした。

こうして旧ねづくりやの暮らしは終わりましたが、その想いは消えることなく、新しいねづくりやに引き継がれています。建設が始まる前の空き地では、食と遊びの市場『アキチノキチ』というイベントを開くこともできました。人と人との繋がりを大切に、根津の街への恩返しを、新しいねづくりやで頑張っていきます!

アキチノキチの様子。旧ねづくりやでお世話になったたくさんの方々にお越しいただきました。



この記事を書いた人:末吉祐太